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ジャイアント馬場の全盛期は?凄さや最強だったのかも紹介!

ジャイアント馬場、実力、最強
ryosan
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ジャイアント馬場さんはプロレス界では有名で、プロレスを見たことない人でも名前を知っているぐらいですね。

そんなジャイアント馬場さんの全盛期は?

凄さは?最強だったの?

と気になる人も多いはずですね。

そこで今回は

  • ジャイアント馬場の全盛期は?
  • ジャイアント馬場の凄さは?最強だったの?

と題して調査し、解説していきます。

皆さんの参考になれば幸いです。

ジャイアント馬場 の凄さは最強だった?

ジャイアント馬場さんはプロレスラーになってからもですが、それ以前から凄さが最強でした

どんなところで最強と言えるのかな?

ジャイアント馬場さんはプロレスラーになる前は、なんと巨人の野球選手だったのですよ。

プロ野球選手時代にジャイアント馬場さんは脳腫瘍で視力が急激に低下。

手術し成功するも、合宿先のお風呂場で転倒し、身体ごとガラス戸に突っ込み左肘に17針を縫う怪我を負い、そして指が自由に動かない状況が続いたため、引退したんですって。

その後もスポーツを続けたかったので、家の近くにあったボクシングジムに通い、トレーニングをしたんだとか。

巨人時代からの知り合いの力道山さんや竹下民夫さんらにプロレスを勧められたんだそうですね。

力道山さんは入門する前に、ジャイアント馬場さんに「ヒンズースクワット100回するように」といったそうです。

そしてその100回を難なくこなし、入門となったそうですよ。

スクワット100回いきなりやってと言われてもできないワン!

つまり、ジャイアント馬場さんは入団前から身体能力が高く、最強だったのです。

では、プロレス入団前も最強なストーリーをお持ちのジャイアント馬場さんを深堀していきましょう。

ジャイアント馬場とアントニオ猪木の対戦成績は?

戦績は16戦16勝で、ジャイアント馬場さんの完全勝利です。

アントニオ猪木さんと、ジャイアント馬場さんが戦ったことがあるのは、若手時代です。

その後は、それぞれ新団体を立ち上げたので勝負はしていないとのことでした。

プロレスはシナリオがあるので、果たして、本当に猪木さんが負けたのだろうかと思ってしまうところもありますが。

ジャイアント馬場さんは腱の力がとても優れていましたし、アントニオ猪木さんはレスリングが異常に上手い、スピードも速いです。

もし、本気で2人が勝負したなら決着はなかなかつかないでしょう。

まさに永遠のライバルでしょう。

ジャイアント馬場の凄さを象徴する試合は?

ジャイアント馬場さんの凄さを象徴する試合は、1974年12月2日に行われたNWA世界ヘビー級王座ジャック・ブリスコ選手との戦いですね。

同年の1月23日にブリスコ選手に負けています。

しかし、リベンジを果たし、みごと勝利!

この成績(NWA世界王座)は日本人として初の快挙となったのですよ。

そして、世界にジャイアント馬場さんの名前が知れ渡ったのです。

大谷翔平よりも先に馬場正平の方が世界で活躍したんだワン!

ジャイアント馬場 の全盛期はいつだったのかも紹介!

ジャイアント馬場さんの全盛期は1960年ごろです。

ジャイアント馬場さんは1938年生まれなので、22歳ごろが全盛期だと言えますね。

全盛期のころは、アメリカ修行に行き、帰ってきては日本プロレスのスターとして輝き、そして全日プロレスを立ち上げたのです。

『ジャイアント台風』という漫画が週刊少年キングで(1968年から1971年まで)連載されていたほどに、ジャイアント馬場さんは全盛期、世界最強だったと言われているのですよ。

ちなみに『ジャイアント台風』は、ジャイアント馬場さんがプロ野球で挫折し、そこから日本プロレスのエースとなるまでを書いているんだそう。

読んでみたい!

全日本プロレスでの活躍期間は?

ジャイアント馬場さんは1972年2月に全日本プロレスを設立。

この時、アントニオ猪木さんも新日本プロレスを設立したんですよ。

2人は一生ライバルだからね。

ジャイアント馬場さんは1985年以降はタイトル戦から身は引いていたものの、1999年1月までリングに上がり続けたのですよ。

ジャイアント馬場さんが亡くなったのが1999年1月31日ですので、死ぬぎりぎりまでプロレスラーだったのですね。

なので全日本プロレスでの活躍期間は27年となります。

死ぬまでプロレスをしたと言っても過言でなく、信じられないぐらい凄いですよね。

獲得したタイトルは?

ジャイアント馬場さんの獲得したタイトルを見ていきましょう。

以下の通りです。

NWE世界ヘビー級王座・第49代(防衛1回)
・第55代(防衛1回)
・第57代(防衛なし)
インターナショナルヘビー級王座・第3代(防衛21回)
・第5代(防衛18回)
・第7代(防衛10回)
PWFヘビー級王座・初代(防衛38回)
・第5代(防衛15回)
・第7代(防衛3回)
・第9代(防衛3回)
アジアヘビー級王座・第6第王者
インターナショナル・タッグ王座12回獲得
(第9代、第10代、第12代、第14代はアントニオ猪木とタッグを組んだ)
アジアタッグ王座3回獲得
チャンピオン・カーニバル7回優勝

と、たくさんのタイトルを獲得してきました。

アントニオ猪木さんとタッグを組んで試合に出てるだなんて、リアルタイムで見てみたかったですよね。

今と違って、ジャイアント馬場さんの全盛期はテレビ放送だったのでしょうし、生放送でジャイアント馬場さんを見ていた人たちが羨ましいですね。

まとめ

今回の記事はジャイアント馬場の全盛期は?凄さは最強だったのかも調査しました。

いかがだったでしょうか。

今回のまとめ

  • ジャイアント馬場の凄さは最強だった?
    • NWE世界ヘビー級王座になるぐらい、最強だった!
  • 全盛期はいつだったのかも紹介!
    • 全盛期は1960年ごろ。
    • 22歳ごろが全盛期。

ジャイアント馬場さんは死ぬぎりぎりまで、プロレスをしていたというのが、とても偉大だなと思いました。

昭和のプロレスは面白かったですね。

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kazu
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家族ファーストがモットーの3児の父親です。 妻は、数秘×マヤ暦鑑定の先生です。
愛知県在住。
ワンちゃん大好き! 現在ラブラドール2頭とポメチー1頭を飼ってます。
ディズニー大好き毎年家族で行ってます。
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